James Smith

1942- ? | USA

安東輝政によるジェームズ・スミス|プロフィール

James Smith(1942~?)に関して、残されている情報は少ない。あまりにもありふれたその名前が本名であるかどうかも定かではないほどだ。彼について記された資料は、ログジャム・ニッチ・ノットによる手記、また講義録『一般音楽史入門』の一節に出てくる学生としての姿のみであり、音楽家として卒業後に活動した記録はないため、彼を「実験音楽家」としてここに書き加えることは異議もあるかもしれないが、一旦その議論は置いておこう。ニューヨークのハーレム地区に生まれ育った彼は、1950年代半ばから60年代前半にかけての多感な時期を公民権運動の嵐が吹き荒れる時代に過ごす。彼はデモ行進のなかで人びとが大地を踏みしめる音に力強い音楽を見出したようだ。1965年、彼は講師のログジャムに、デモ行進の様子を地面に置いた録音機で録音したものを実験音楽として聴かせた。その後、彼はこの音楽を、地図上にいくらかの情報を書き加えたものを楽譜とすることで再現しようと試みていたが、残念ながら彼の研究が進む前に、何らかのトラブルに巻き込まれ若くして亡くなったようだ。1964年の公民権法制定後も依然黒人学生は少数派であったであろうが、このような研究が可能だったのは、初めて黒人史の講義を行うなど革新的な学校として知られるニュースクール大学という土壌とログジャムという変わり者の講師の存在が大きかったのではないだろうか。

ログジャム・ニッチ・ノットによるジェームズ・スミス
|『邦訳:一般音楽史入門』712ページ

5.「演奏」概念の拡張
(前略)
・ジェームズ・スミス(1965)デモ行進の録音を「演奏」と見なし楽譜化した彼の研究は、チュードアに多くの楽譜が捧げられた50年代の実験音楽からの影響、また前述の64年の八坂によるパフォーマンス未遂など、60年代から70年代にかけて散見されるポリティカルな音楽表現の一つである。余談だが、彼は筆者の教え子でもあった。
講義を受けた学生による書き起こし

「…とこのように、「演奏とは何か?」という問いに対するアプローチは多くある。(中略)1960年後半だったかな、例えば私の教え子にJames Smithというのがいて、彼はデモ行進の録音を持ってきてこれを演奏だと言った。揃った足踏みの音を作曲、それが足音のズレや声といったノイズによって不確定なものになるとみなしたわけだ。実験音楽的な発想だとも言えるし、演説のリズム感に大きな影響を受けたと言われるラップなんかと似たような発想だともいえるかもしれないが、私にとっては非常に印象的な学生だったものだ…」