Pete J Lynch

1904- ? | USA

植村朔也によるピート・J・リンチ|プロフィール

1904年アメリカ生まれ。白人男性。
幼い頃から共感覚を備えていた彼は、音楽を聴いてしきりにそれを絵にした。しかし、絵画という共時性の表現と音楽という通時性の表現は矛盾する。リンチは音楽を一枚の絵画に翻訳するのではなく、スケッチブックを素早くめくりながら、追いかけるように音の印象を記す青春時代を過ごした。
1932年、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオに入社。
映画『ファンタジア』(1940)の構想に着手していたディズニーに対して、リンチは音楽と映像のマリアージュを共感覚的な表現で実現することを提案する。
その際にリンチが提出したのは、アニメーション制作の基底としての譜面である。共感覚者であるリンチは、音楽の調に色を見る。この色彩を音に対応させて画面上で強調すれば音楽は映像化されると考えた。そこでリンチは、単色の色彩からなるアニメーションをえ譜面を絵コンテの代わりに用意したのだ。画面にはその時々の調に対応した色彩が塗り込められている。さらに強弱にはヴォリュームを、仕上げには音のテクスチャを対応させ、音楽の躍動に即して図は画面を時に流れ、時に跳ね回った。まさにリンチの面目躍如である。この譜面をもとに、それぞれの図に適切な形象を与えれば、音楽は自然とアニメーション化されるとリンチは考えた。またリンチにとって、そのようなアニメーション行為と演奏行為はほとんど同質の営みでもあった。
しかし映像のこのような抽象的還元は、キャラクターの生命感を旨とするディズニーの制作方針とは深刻な対立を引き起こす。また、リンチの譜面は共感覚者特有の論理によって構成されたもので、個々のアニメーターの判断で改良するなどの融通が利きづらく、また絵コンテと違い初めから画面をアニメートするタイミングを規定するので、アニメーターからは不評であった。集団制作の基底としては拘束性が強すぎたのである。
したがってリンチの譜面はお蔵入りとなり、よく知られる『ファンタジア』の共感覚性は、あくまで色彩の次元においてのみ実現されることとなった。
なお、ウォルト・ディズニー自身共感覚の持ち主であったという。