1992年8月某日|
マンハッタン ニュースクール大学第12会議室のすみっこにて|
学⻑Xと教授N、教授Nʼの会話
X:ふむ。では、あなたがたは、そういうふうに、これまで「作曲家」と呼ばれていたものと「楽譜」については、どうお考えですか。
N:私はまったくこれまで主張してきたとおりです。これまでの音楽史における作曲家こそが作曲家であり、彼らが今ある音楽を奏でるための、そう、指示、として五線譜を作り出してきたのです。
X:作曲家とは、その場合一体誰を指すのですか。
N:無論、五線譜をつくる者です。彼らの脳内で流れている音楽を虫とり網で捕獲して、それらが息をしているうちに生きているそのままを標本にするのです。
X:ふうむ......それではいけないな。そんなふうでは君に次年度の音楽史の授業を任せることはできないよ。君は、まったく自分の肩書きや名前の関わらないところでは非常に面白い音楽を作るけれど、ひとたび自分の名前が絡むと、とたんに陳腐になってしまうね。われわれはまさに、音楽の歴史を教えることによって音楽を奏でるという試みの最先端にいるわけなんだ。私はそれを理解したうえで授業を担当してくれる者を探している。
N:それは理解していますが、しかし......
X:さて、面白いことに、ここに、教授として⻑いことここにいながらも、しかしながらたいした業績を残していないログジャム・ノットという人物がいますね。彼に次年度の音楽史の授業を任せてみるというのはどうだろうか。
N:そんな!彼は本当に、一体何の研究をしているのか、同僚のぼくにもさっぱりで......研究室でなにか作業をしている気配すら感じられないんですよ。まともに授業を担当できるとは思えません。
X:いいや!そこがいいのだよ。かれのこれまでが無色透明だからこそ、そこに新しい音楽の道があるのではないかね?そうだ!盲点だった、彼に決定しよう!
N:そんな......ぼくには理解できない、ちょっとお互い冷静になって考えましょう。僕は今日はこれで失礼します。
(ドタバタと荷物をまとめる音や足音。ドアを閉める音がすると30秒ほど沈黙が流れる)
Nʼ:学⻑、さきほどの質問の答えですが、作曲家とはつねに駒を動かすものであり、楽譜とはつねに駒を動かさせるものなのではないでしょうか。