エルジェナ・ツィデンジャボフ
とのインタヴュー

冨田萌衣|2026

冨田萌衣によるエルジェナ・ツィデンジャボフ|インタビュー

2026年7月12日

※このインタビューは、ロシア語の翻訳者を交えて行われた。

T:エルジャナさん、本日はお時間をいただきありがとうございます。まずはログジャム・ニッチ・ノットとの出会いについて、お尋ねできますか。

E:ログジャムとの出会いは、彼がコムソモリスク・ナ・アムーレ(極東ロシア第3の都市)を訪れたときでした。ログジャムはそのとき、「ニレカレクチワ」という団体のリーダー、アルバトロサ・サラヴィエスキーの調査で、アムール川近郊の都市を巡っていました。私の祖父もその団体のメンバーだったために、知人を通してログジャムを紹介されたことが始まりです。

T:ご存知かと思いますが、ログジャムはアメリカでは音楽史家として大学に雇われていた研究者です。いっぽう、サラヴィエスキーは「鳥に憑かれた男」という異名でも知られる音楽家ですね。数年前、ウクライナから日本へ亡命してきた人物によって、サラヴィエスキーに関するレコードや文書、写真といった資料が見つかったことはご存知ですか?

E:そうだったのですね、知りませんでした。サラヴィエスキーについて私が知っているのは、祖父や母から聞いた話がほとんどで、ログジャムと知り合うまで世の中で彼がどのように評価されているか意識したこともなかったですし、そもそも私たちが住むシベリアをふくむロシアや、ウクライナ、ベラルーシといった近隣諸国以外の地域で知られていることに驚かされたほどです。

T:ログジャムはサラヴィエスキーについてどのように語っていましたか?

E:私たちといるとき、ログジャムはサラヴィエスキーを終始褒めていました。もちろん、それは私の祖父が「ニレカレクチワ」のメンバーであることも念頭においてではあったかもしれません。しかし、ログジャムの言い振りにはなにかエネルギーが含まれていた気がするのです。

T:というと、ログジャムがサラヴィエスキーに傾倒していたと?

E:はい。印象的なのは、ログジャムが調査はあくまで建前なのだと話していたことです。ログジャムは、サラヴィエスキーが鳥とコミュニケーションをとり、鳥たちの声おを録音した作品を音楽史のなかに組み込むために、研究機関の依頼を受けてシベリアに来ていました。つまり、音楽の研究者として、歴史家という立場があったわけです。ログジャムはこうした前置きをしたうえで、我が家に来て1週間経った頃でしょうか、実際は、自身が抱えている作曲の問題を解決するためにシベリアを訪れたのだ、と夕食をとりながら話し始めました。彼はもともと若い頃は作曲家を志していたが、音楽史があまりに西洋中心主義的で、パフォーマンスにおける強度がまるで考慮されていないことに憤りを持っていたために、まずは音楽史という楽譜を作らなくてはいけないと考え、いまの仕事に取り組んでいると言っていました。

Z:私たちが知る限り、ログジャムは徹底した秘密主義者で、大学内でも彼がどんな研究をやっているか、知る人はほとんどいませんでした。そんな彼が、なぜエルジェナさんたちに対して饒舌になっていたのか、なんとも不思議ですね。

E:まともな歴史を編曲しないかぎり、自身の作曲家としてのキャリアは始まらないし、そういった作業においてまわりの音楽家や音楽研究者とは距離を保つ必要があったという哲学があったようです。しかし、……(つづく)