現在の音楽文化を思い浮かべてみても、音楽と歩行との繋がりは希薄に思える。いや、よく考えてみれば音楽の場で歩いている人はいるに違いないのだが、徹底して非-音楽化する方向で進められているようだ。コンサートの最中に会場に遅れてきた観客は肩身を狭くしながら「歩いて」席に着く。ピアニストは「歩いて」ピアノの前に立ち、それからお辞儀をする、観客は拍手する、歩くのは文字通り「音楽以前」とみなされている。音楽のなかで歩くことがもっとも不自然ではなさそうな(クラシック/ポピュラー問わず)歌手でさえ、ただ「歩く」よりかは多少なりとも何らかの身振りをつけることによって、その余りに単純な振る舞いを紛らわせようとする。音楽は歩くことを徹底的に忌避して遠ざけようとしているのだ。
……などという見立ては、もちろんちょっとした弁論術にすぎない。実際には音楽と歩くことが深く関連しているような事象は歴史的にみていくらでもある。ここで丹念に「歩行と音楽の関係史」を追っていくことはしないが、簡単にいくつかの例を挙げてみるだけでもその関連性は掴み取ることができるだろう。
そもそも音楽におけるテンポや拍子は歩くことと切り離して考えることはできない。速度標語のアンダンテ(Andante)はイタリア語で行く(go)ないし歩く(walk)を意味する「Andare」に由来するものであり、2拍子の楽曲形式である行進曲(march)も歩調を表象していることは明らかである。
古典的な「音楽-歩行関係史」においてまず念頭に置かれるのは、プロムナード・コンサートであろう。今では肩肘張らずに鑑賞できるコンサートという比喩的な意味で用いられるこのコンサート形式は、17世紀にロンドンで登場した当初は文字通りの意味であった。つまり、公園や庭園を会場とし、観客は遊歩しながら音楽を楽しむコンサートのことを言っていたのだった。
プロムナード・コンサートというタームが「比喩的に」使用されるようになるくらいには、音楽体験というものは肩肘張ってなされるべきものだという先入観は19世紀末までに根付いてしまったのかもしれない。ベルトルト・ブレヒト(1898-1956)の言葉を借りるなら、「〈生活〉態度をぬぎすて、王侯の態度を身につけて座席につく」 ようになってしまった。歩くことは〈生活〉の範疇に属する振る舞いであって会場に入るときには脱ぎ捨てなくてはならないのだった。
もちろん、ブレヒトはその「おかしさ=可怪しさ/可笑しさ」を喝破したわけである。「そうするのがおかしいことくらい、王侯の態度はチーズ商人の態度よりもよいという偏見さえなければ、誰にだってわかるだろう。」
19世紀までに最大限に築きあげられた生活空間と劇場空間の間の落差は、こうして20世紀に問い直されることになった。音楽においてはジョン・ケージ(1912-1992)およびケージ以後の時代において中心的に扱われた。そのような文脈において、「歩く」という行為もまた音楽の一つの主題となったのだ。
ケージの《ミュージック・ウォーク》(1958)がまずは当然思い出されなくてはならない。ケージのほかデーヴィッド・チュードア(1926-1996)とコーネリアス・カーデュー(1936-1981)の三人によってデュッセルドルフで初演が行われたこの作品はマース・カニングハムのダンス作品のための音楽であり、一人または複数のピアニストのために書かれている。「はじめにどこに行くかを決定して、それから特定の時間そこに留まるか、それとも特定の場所に移動してそこで時間を費やすかを決定する。」 この作品では「歩く」という行為にとりわけ強い意味を与えられているわけではないが、ケージにとって音楽の「シアター化」に寄与するものとして機能していると言えるだろう。ピアノの前に座っているはずのピアニストがピアノの周囲に「歩いて」いって様々な振る舞いをする、そのことを作品のフレームに押し込めたのだ。まさに通常のコンサートでは音楽外のものとして無視することが規範化されている舞台袖からピアノへの、あるいはピアノから舞台袖への歩行のようなものが、ここでは音楽として浮かび上がってくる。
ケージは翌年、歩行にさらに「水」という要素を付加させた《ウォーター・ウォーク》(1959)を作曲する。これ以後、「歩く音楽」という観点でいえば、わずか数年、十数年のうちにいくつもの重要作が誕生している。時系列にみていこう。
まず、日常の作品化/音楽化を主に取り扱っていたフルクサスは、当然ながらよく「歩行」を作品化した。エメット・ウィリアムズ(1925-2007)の《不確定な時間のうた》(1960)はペットボトルを頭に乗せてそれが落ちるまで歩き回る。ベン・ヴォーティエ(1935-2024)による《スマイル》(1961)は5人のパフォーマーがスマイルしながら歩く作品。ミラン・クニザク(1940-)の《ウォーキング・イヴェント》(1965)は混雑した都市の大通りの歩道に三メートルの円をチョークで描き、その線上を歩きつづける。
フルクサスに参加した日本の作曲家にも同様の作品がある。小杉武久(1938-2018)の《シアター・ミュージック》(1964)。水野修孝(1934-)、塩見允枝子(1938-)、刀根康尚(1935-)ら東京藝術大学音楽学部楽理科の学生で1960年に結成したグループ「グループ音楽」で活動を開始し、一柳慧(1933-2022)の紹介を受けてフルクサスにも参加、1964年の「マース・カニングハム・ダンス・カンパニー」初来日の際にはケージやチュードアと共演した小杉は、まさにその1964年の作品で「歩く」ことに焦点を当てている。《シアター・ミュージック》のスコアに書かれているのは「ひたすら歩きつづけよ(Keep walking intently.)」の三語のみ。ケージの《ミュージック・ウォーク》に見られる拡張的傾向とは鮮やかなほど対照的に、「歩く」という行為だけに音楽が凝縮されている。そうしたことを考え合わせると《シアター・ミュージック》というタイトルに「ひねり」が感じられるようになる。
次にマックス・ニューハウスによる《リッスン——音環境を探し歩くフィールド・トリップ》(1966-1976)は、日常的な環境音に耳を澄ませることで新たな聴取体験を生み出そうとする「サウンド・ウォーク」である。マリー・シェーファー(1933-2021)によって提唱された「サウンドスケープ」の概念とも強く結びつくこの試みは、環境音を「音楽=聴取に値する音」とみなすという点でケージを引き継いでいる。
ここで一旦音楽の外に目を向けて見ると1967年にはイギリスの美術家リチャード・ロングが「歩行による線」を制作している。草原を歩行した痕跡を作品化したこの名作がこの時代に誕生したことは興味深い事実であり、また歩行と「サイト・スペシフィック」概念との結びつきを考えるにあたっては端緒ともなりそうだ。
そしてマイケル・パーソンズ(1934-)による《WALK》(1969)。本年、筆者らが企画者となり「第31回東京大学教養学部選抜学生コンサート」にてこの作品の再演を行った。その菜園も含め、《WALK》については本冊子で詳細に検討されることになる。
スロヴァキアの作曲家ラディスラフ・クプコヴィチ(1936-2016)は1970年ごろから「ヴァンデル・コンツェルト」というパフォーマンス形式を発明した。これは、コンサート会場の複数の場所で演奏が行われ(同時に行われることもある)、観客は歩きながら音楽を楽しむというものであり、ここにきてまるで「プロムナード・コンサート」が回帰してきたかのように見える。ケージの《ミュージサーカス》(1967)なども類似のコンセプトを持っているといえるが、むしろこのような形式は現在においては美術館などで開催されるコンサートではしばしば見られる光景である。
パーソンズとともにアマチュアによる特殊な音楽集団「スクラッチ・オーケストラ」の設立メンバーでもあるコーネリアス・カーデューの《大学》(1971)の「第7パラグラフ」はスクラッチ・オーケストラのために書かれた合唱作品だが、メンバーひとりの音を聴いてその音高に合わせて歌うという仕掛けになっており、その音を判別するために会場を歩き回ることになる。
1979年にはソニーがウォークマンを発売した。「歩く人」という商品名を持つこの音響機器の発明は、歩行が音楽を支配した瞬間とも捉えられようか。「歩行が」という主語を「人間が」、「身体が」というふうに置き換えることもできそうだ。その証拠にウォークマンの広告にはブラジャーのなかにウォークマンの下半分くらいをしまい込んだエロティックな女性と共に「音楽がいっそうカラダに近づいた」というキャッチコピーが刻まれている。
ポーリーン・オリヴェロス(1932-2016)の『ソニック・メディテーション』(1974)や『ディープ・リスニング』(2005)にも「歩く」行為が重要となるワークショップはいくつも存在している。たとえば『ディープ・リスニング』の冒頭には「非常にゆっくりと歩く」と銘打たれたワークショップが組み込まれている。スローモーションで歩くことにより身体のバランスを理解することがここでは目指されている。「音楽がいっそうカラダに近づいた」というほどのいやらしいニュアンスはここにはないけれども、「ディープ・リスニング」の前提にはその聴取を司る身体があるということが強く意識されている。
歩行と音楽の結節点だけを時代とともに追ってみるだけでも、簡単にこれだけの内容を見出せる。冒頭に提示した「現在の音楽文化において、音楽と歩行との繋がりは希薄である」というテーゼはやはり詭弁に過ぎなかったようだ。いや、それとも、希薄であるからこそ実験音楽家たちは歩行を音楽化しようとしたと、オリヴェロスは歩行から聴取のトレーニングを開始しようとしたと、言うべきなのだろうか。
オリヴェロス以後の歴史について語ることは、あまりに現在の時点に近くなりすぎて困難である。だから少なくとも、ここ日本において「歩く」ことをテーマに取り組んでいる音楽家の例を少しばかり挙げておくことにしよう。
まずは京都市立芸術大学の同期である
荻屋晴夫(1980-)と
二瓶治(1980-)の名前を挙げないわけにはいかない。荻屋は劇作家だが音楽家としての活動も重要であり、プロジェクト『楽譜を捨てよ、町へ出よう』(2003)は街中でのウォーキングを扱ったものだ。二瓶の《街中の音楽》(2009)も同様の方向性から歩行と音楽の関係性についてアプローチしている。この両者のインタビューが本冊子には掲載されている。
東京藝術大学美術学部先端芸術表現科の教授である古川聖(1959)による「あるく!空間楽器コンサート」(2020-)はスマホを使用して地図上に音をマッピングしたもので、実際には歩かなくてもその場所のサウンドスケープを体験できるという、一種の「疑似散歩」として構想されている。コロナウイルス蔓延という社会情勢がそこには畳み込まれている。
マリンバ奏者の野木青依(1994-)と音楽家のMC.sirafu、そしてコーディネーターの宮﨑有里(1995-)による「さんぽチーム」は、『すみだのかたち さんぽとライブ』(2023)で会場のある墨田区を参加者と散歩し、そこで撮影した写真をもとに即興演奏ライブを行うというイヴェントを開催した。
音楽創作家の小栗舞花(1998-)、芸術社会学者の鈴木南音(1995-)、そして舞台演出家の熊谷ひろたか(1996-)からなるグループ「矢野かおる」はオリヴェロスの『ソニック・メディテーション』にあるワークショップ「ネイティブ」の指示文「夜、散歩をする。足の裏が耳になるくらいとてもゆっくりと歩く。」からインスピレーションを得て『足の裏で音楽を聴く』(2023)というプロジェクトを行っている。