雨天同好会

2005-

綿貫ひびによる雨天同好会|紹介

2005年に羽塚真澄が立ち上げた創作コミュニティ。

水や雨のモチーフから創作されたものを集めた機関誌『滴』を不定期に刊行しながら、活字には収められない、音楽や演劇などの創作もおこなっている。 

メンバーの全貌が明かされておらず、たとえば機関誌に掲載される作品の作者は記載されない。ただ「雨天同好会の作品」として発表されるのである。中には、すでに著名な小説家や詩人、画家がその名前を伏せて発表している作品もあると噂されている。2015年には、『滴』に掲載された短編小説「不作のモジュール」が芥川賞にノミネートされ、作者不明の作品が候補作になるという異例の事態に注目が集まった(受賞には至らなかった)。 

そのような匿名性を持つ雨天同好会であるが、唯一、『滴』に掲載されたものの中で、その活動が詳細に描かれたエッセイが存在する。また、その文章の中には羽塚の名前も登場する。雨天同好会の内情を探ることのできる重要な文章である。
綿貫ひびによる綿貫ひび
2005年生まれ。北海道稚内市出身。14歳から詩を書き始める。雪に関する詩を多く創作し、17歳で宮沢賢治現代詩賞にノミネートされ注目を浴びる。18歳で上京し、羽塚真澄が主催する雨天同好会のメンバーとなる。以降、羽塚との親交を深めるなかで、羽塚が影響を受けた佑儻真於の存在を知り、その研究を始める。また、佑儻について調べるなかで実験音楽への興味を示したこと、そして自身の雪に対する関心から、髭地紀彦についての研究も進めることになった。

雨天同好会による雨天同好会|エッセイ「雨天同好会の日常」

『滴』第14号より抜粋
ぽっつんぽっつん、朝起きたときに聞こえてくるのでした。 
明日になれば忘れてしまう匂いです。それを前にして、わたしたち、うなだれるだけでは、人生というものは強くいられないでしょう。もう7月です。こうして人生は過ぎ去り、また途方もない旅へ向かうばかりなのです。 
今日は雨天同好会の集まりがありまして、しかたなく外出することを決心して、傘を握りました。いつも『滴』で言及されている傘ですが、ばさっとさしてしまえば、ただの道具になってしまうのですから、わたしたち人間、馬鹿にされているようなものです。
(中略) 
阿佐ヶ谷まで行きました。雨天休日の中央線は、湿気がひどくて乗客の憂鬱を運びます。やはり世の中の人間というのは、雨が嫌いで、水が嫌いなようです。わたしだって、自分に降りかかる水滴はあまり好きではありません。 
雨天同好会の主宰・羽塚真澄さんの邸宅に到着すると、もうすでに五人ほどいらっしゃっておりました。わたしは誰とも面識がありませんで、隅っこで傘の水滴と見つめ合うことばかりしていたところ、羽塚さんが声をかけてくださったのです。
「せっかく雨が降っているので、今日はまた別のことをしましょうか」 
羽塚さんの目は楽しそうでした。やはり、雨が相当お好きなんでしょう。お話に聞いていた人とまったく相違なく、物腰の柔らかい人でした。
「いつもは何をしていらっしゃるのでしょう」
「それは、また、晴れの日のお楽しみになさってください」 
この返しには驚きました。 
わたしの自己紹介が済むと、今度は全員で羽塚さん宅の和室に移動しました。襖を開け放つと、雨が土を打つ音がいっそう強く聞こえ出して、雨天同好会の集まりを讃えているようです。心地よい音です。
「今日はここでひとつ、『滴』をつくろうではありませんか」 
羽塚さんはそう言って、わたしたちの方を見渡しました。何を言ったのか分からない、というように視線を交わしていると、羽塚さんは少し笑って、こう付け足しました。
「次号は、ここで、雨を見つめながら、創作されたものを掲載することにします」
(以下、続く)