序章 今日に至るまで世界中で様々な人々により多くの実験音楽が作られてきた。「実験音楽」とはなにかに関しては、「《音楽》の枠組みを広げていくための「実験」を含む実践」という定義が最も差し障りがなく、その名称からの乖離もさほどなく済むだろう。しかしそういった動機のもと作られた作品たちの中でも、どういった側面から《音楽》の枠組みを広げているかが全く異なるため、この定義以上の共通点を見出しにくい。実験音楽を通底する概念として、物事を有意義に説明できるほど狭く、かつそれにより説明できない作品が十分少ない概念があまりないのである。これはひとえに実験音楽研究史の浅さに起因する問題だと言えるかもしれないが、そうした問題のため実験音楽全体を見通す議論は発展が乏しかった。
そこで本書においては、いくつかの実験音楽作品に共通する「妨害」という仕掛けに注目することで実験音楽史を再検討したい。ひとくちに「妨害」と言っても、何を何のために妨害するのかは作品によって異なる。ここではひとまず妨害の対象を「演奏」と「聴取」に大きく分けて扱う。また近年ではコンピュータを用いた実験音楽が大きな流れを作っている。そのため第三版の発行にあたって、第一章に新たに「コンピュータによる妨害」という節を設けてこれを扱うこととする。
第一章 演奏の妨害1-1 楽器の改造・破壊による演奏
既存の楽器を改変するというのが、実験音楽最初期における作曲家たちの常套手段であった。そもそも楽器とは多くの場合、特定の音を特定の仕方で鳴らすために開発されたものである。したがって音の出し方は決まっているし、できるだけ単純な演奏法でなければならない。しかしその規範が崩れる可能性も考えられる。例えば演奏している最中に楽器が壊れて音が出なくなったり、演奏している途中で演奏法が変わってしまうといったことが考えられる。19世紀前半の音楽家の中には既に「楽器に関する規範が意味をなさなくなったとき、音楽はどうなるのか」といった哲学的問いに着目している者がいた。こうした思想が楽器の破壊や改造を行う契機となったと考えられている。
楽器を破壊する本格的な実験音楽作品が手がけられたのは1930年代末であった。ジェローム・フリスク (Jerome Frisk)は《Breaking Rules, Breaking Strings》(1938)という作品を発表した。弦楽器で演奏される曲であるが、事前に定められたルールがあり、それを破ったら「妨害者」が弦を切っていくというものである。その後の1940〜1950年代は、楽器破壊系が一大ブームとなった。この時代に成立した作品例としては、ある弦を一定の回数弾くと切れてしまうようなギターを演奏家に何も伝えずに渡して演奏させる曲や、演奏中に楽器に物を投げ入れて詰まらせる金管八重奏などがある。さらには、トランペットをチョコレートで作って炎天下の街中で長時間演奏させる(演奏中に通りすがりの子どもがおやつほしさに楽器を食べるという事態も発生した)といった新たな楽器による演奏もあった。このブームの背景については諸説あり、明確な原因は明らかになっていない。
1-2 人間による妨害
先述の楽器破壊も広義の「人間による妨害」であるが、ここでは楽器に手を加えるのではなく、演奏者に何かしらの働きかけをして妨害することについて論じる。これも19世紀頃の音楽家の手記には既に記されていたが、実際にこの手法が大々的に用いられ始めたのは1950年代初頭になってからのことであった。それまで「妨害」=「破壊」という定式が暗黙の前提になっていたことに疑念を覚えていたフランスの音楽家アントワネット・ド・シャルパーニュ (Antoinette de Charpagne 1903-1972)は、あるときニューヨークで開かれたコンサートで暴漢がステージに上がり、演奏者を追い回し、演奏会が中止になるという事件に遭遇した。これを受けて彼女は演奏者が関与できない何者かが演奏を妨害するという手法を思いつき、翌年にチェロの演奏時に「妨害者」が余計に弦を抑えて楽譜通りの演奏を妨げるという作品を生み出した。彼女の後の作品では演奏者の子どもが演奏に夢中な演奏家の目を惹こうと妨害したり、作曲家が自分の思い通りの演奏を実現させるために子どもに演奏者を妨害させたりする。
1-3 コンピュータによる妨害
時代が下りコンピュータが登場するようになると、それを妨害のための新たなツールとして用いようとする実験音楽家が急増した。コンピュータが比較的手ごろな価格で入手できるようになった1970年代後半には既存の妨害楽曲がプログラムを用いた遠隔操作で上演されるようになった。またソ連出身の
コンスタンティン・ツェルノフ (Konstantin Tsernov 1947- )はプログラムを用いて音を出す方法が確率的に変化する電子楽器を創作していた。たとえば弦楽器の操作法で演奏できたものが管楽器での演奏方法に変わったり、ある音程を鳴らすのに抑える場所がランダムに変わったりするようなインターフェースなどである。
第二章 聴取の妨害ここからは聴衆が演奏を聞く際に妨害が生じる楽曲をまとめる。聴取を妨害するという事例は比較的最近になって行われるようになった。ヘッドホンやイヤホンが普及する前の音楽において聴取を妨害するには演奏される空間そのものを変えるしかなかったからである。したがってこの分類にあたる作品は想像以上に少ない。例えば、2010年にイギリスのイヴォンヌ・ベリントン(Yvonne Bellington)は《Interrupted Resonance(途切れた共鳴)》という作品を発表した。聴衆はホールに集まって、ライブ配信された演奏を各々の端末で聞くが、あるタイミングでそのホールの電波を遮断もしくは弱くするのだ。それにより端末からの演奏が止まってしまった聴衆は戸惑うかもしれないが、彼らがどよめいたり動いている音自体も音楽として聴くこともできる。
結論本書ではこれまでの実験音楽史を「妨害」という観点から振り返った。この研究によって「妨害」が時代も手法も多岐にわたる実験音楽作品を考察するための一つの有効なカテゴリーだと言えることがわかっただろう。実際のところ、「妨害」が実験音楽の中で重要なアイデアであることは、序章で述べた「《音楽》の枠組みを広げていくための「実験」を含む実践」という実験音楽のひとまずの定義から考えれば、おかしくないことなのだ。…もちろん「妨害」によってのみでは説明不十分となるような作品も存在するだろう。本書が、そういった作品を語る新たな視点を生み出すことにも繋がることを願う。