KONSTANTIN TSERNOV

1947- | USSR

ジークフリート・ノイマンによるコンスタンティン・ツェルノフ|
『実験音楽における「妨害」性』より[抜粋]

1-3 コンピュータによる妨害

時代が下りコンピュータが登場するようになると、それを妨害のための新たなツールとして用いようとする実験音楽家が急増した。コンピュータが比較的手ごろな価格で入手できるようになった1970年代後半には既存の妨害楽曲(例えば先述の)がプログラムを用いた遠隔操作で上演されるようになった。またソ連出身のコンスタンティン・ツェルノフ (Konstantin Tsernov 1947~)はプログラムを用いて音を出す方法が確率的に変化する電子楽器を創作していた。(例えば弦楽器の操作法で演奏できたものが管楽器での演奏方法に変わったり、ある音程を鳴らすのに抑える場所が変わったりする)演奏させるというプロジェクトも発足した。
『実験音楽における「妨害」性(第三版)』、Already Not Yet、2005年。水上達+石井遥貴訳。

コンスタンティン・ツェルノフによるツェルノフ/ギルマン|回想(2004年7月7日)

私が亡命したのは1976年のことだった。当時は石油危機を機に経済状態が悪く、ただでさえ生活費を切り詰めて楽器製作をしていた私の生活はさらに悪化した。そこにとどめを刺すかのようにプラウダに突如として私の作品が批判され身の危険を感じ、アメリカへと旅立つことに決めた。その道中も様々な困難があったが、今この場でそれを語るのは紙の無駄であろう。

なんとか永住権を獲得し、楽器製作を続けるために日雇いで稼いでいた私を拾ってくれたのはMITだった。1982年に私が過去に作った楽器をプレゼンしに持っていったところ、機械の分野で私を雇ってくれることになった。その楽器は既存の楽器とコンピュータを組み合わせ、元の楽器から出るはずのない別の楽器の音をコンピュータを用いて出す、というものである。その研究を続けられることが決まった私はとても嬉しかった。私がMITに勤め始めてから2年、面白い学生が私のもとにやってきた。名をHoward Gilmanという。21歳だった彼はもともと音楽に興味があったらしく、私の製作途中の楽器をまじまじと見つめては矢継ぎ早に質問を浴びせてきた。そんな彼は今では分野こそ違えど実験音楽を研究するMITでの同僚である。