田部さんと一緒に仕事をはじめてもう10年になる。もちろんそれ以前からその仕事は知っていた。まだ僕がティーンエイジャーだったころから、周りでは(現代音楽というごくごくマイナーな趣味を中核とする小さな共同体が、なぜか片田舎の準進学校に存在していたのだ。コンサートを生で見に行くことなんてできなかったのにもかかわらず、だ)異端の音楽家たるかれの話題で持ちきりだったし、大学に進んでからは、コンサートにしばしば足を運んでその実践を生で堪能していた。
音楽学の知見を活かして批評(のようなもの)を書いては雑誌に投稿する、という蛮勇を繰り返すようになったのもそのころだ。当時の日本には面白い実践をする人々が本当にたくさん存在していた。だからコンサートに行っては勉強して文章を書き、コンサートに行っては勉強して文章を書き、みたいなことを繰り返していくのが本当に楽しかったんだけど、それにもかかわらず、かれについて文章を書くことは一度としてなかった。書けなかった、というわけでもない。文章を書かれることを拒むような何かが、かれの実践には存在していて、僕はそこに極めて敏感に反応してしまっていたのだろう、と思う。たしかに、のちに田部さんについてたくさん書くようになったのは確かだけど、そのときはこの肝心なものを避ける技術が付いていて、なんとか書くことができたのだ。その実践をつかみきれたという感覚は、実際のところあんまりなかったけど。
この「何か」について探るために、一つのエピソードを紹介しよう。2024年、『前衛音楽以後』のトークイベントのために、実験音楽家・劇作家の
荻屋晴夫さんと打ち合わせをしていたときのことだ。荻屋さんは同書をすごく褒めてくれたんだけど、その中ですごく気になる発言があって、それが棘のように、僕の心のどこかに刺さり続けているのだ。荻屋さんは、その少し前に田部さんと雑談したらしい。「食用楽器」のシリーズのひとつ、「アルコールコップ」の演奏直後だったから酔っていた田部さんは、(田部さんの猛プッシュのおかげで)出された同書の内容についての荻屋さんのコメントに、まるで内容なんてどうでもいいかのようにこう返したらしい。「食田くんはフードファイターだからいいんだよね。あれはたくさん食べる人の文章だよ」。
田部さんらしい言葉だ、と思うだろう。僕もそう思ったし、だから数年はそういう言葉を投げてもらったことに言いようのない喜びを感じてたんだけど、でもやっぱりどこか引っかかってはいたし、そこにこそ、「何か」を探る鍵があるのだろう、と思っているところがある。
たとえ芸術実践を行う場合であっても、人は自分自身が依って立つ場所から完全に逃れ出ることはできないし、それを無化しようとしてはならない。自分自身が依って立つ場所とはつまり、生まれた場とか環境とか、あるいはそれによって形成された身体とかそういうものだけど、それこそが自分から出てくるもの、想像・創造の可能性をいやおうなしに規定してしまうのだ。食という最も基本的な生活の営みを強調し続けることによって田部さんが注意を向け続けたのはこのことだったと思う。それがすごく大事なことだと思うし、それに無自覚すぎると足をすくわれてしまう、ということももちろん分かることではある(それで失敗してきた人を何人も見てきた)。
しかし、だ。作家自身の生=食によって自分から出てくる実践は完全に規定されきってしまう、という決定論のこわさは、なんで誰も指摘していないんだろう、と思うくらい(分かり切っているけど、田部さんが本気で言っているとは誰も思っていないのかもしれない)強調してもしすぎることはない。生活の環境とか社会的地位とか身体とか来歴とか、そういう作家の生といってもいいものから規定されてしまう部分がたしかに存在しつつも、でも「そうだから作られた」には還元できない何かをつかむ可能性は創作の中に常に存在しているし、そうした何かをつかむことで、再帰的に作家の生が変貌してしまうこともある。
そうした可能性を考える余地を許さないほどに、田部さんは生と芸術実践とを無媒介に一致させる。それをこれまでにないほど過度に徹底してしまうからこそ、未知のものが無数に登場してきて面白い。でもそれは危険なことでもあるのだ。先に述べた「何か」もにここと密接に関係している。実践について書いているつもりが、いつのまにか田部さんの生に対する論評になってしまうこと。そうした事態にあっては、自分の書き物がいかにして田部さんに作用するのかをコントロールすることはできない。だから怖かったし、若き日の僕にはそれを避けることしかできなかった。