アルゼンチンの実験音楽作曲家
Ellen C Covitoが《Composed Improvisiation》という作品シリーズを2014年に発表したことを知ったギルマンは、彼自身の「認知による偶然性」と近いものを感じ共感を覚える一方で、
《トーン・ジェネレーター四重奏のための小品》に通底する《Composed Improvisiation》の不十分性を発見したそうだ。人のふり見て我がふり直せというのはまさしくこういうことであろう。それは、「聞こえる/聞こえない」あるいは「見える/見えない」という二元論に陥っていることである。視力にせよ聴力にせよある一定の数値を超えるともう脱落するほかないのである。こうした穴から脱却するための一手をこの作品で講じたという。作品の内容としては単純明快で、楽譜が曲を追うごとに画質が荒くなっていく。Covito へのリスペクトを示す意図があるのだろうか、《Composed Improvisiation》と同じバルトークの二重奏をファウンドスコアとして用いて作られている。ただ、新しさが見られるのはこの点ではない。なるほど、曲の表紙にはいくつかの注意書きが添えられているのだが、その末尾はわざわざご丁寧に太字にまでして、この注意で締め括られる。"8. The most important thing is that do not give up playing until the last page."この注意書きにより、「見えないけど誤りながらも演奏を続ける」という演奏者にとってはなんとも過酷なことが強制され、その結果として◯×の二元論的な認知の限界から抜け出すに至るのである。