WALT MCPHAIL

1961-  | USA

田中掌によるウォルト・マクフェイル

人物・来歴
カリフォルニア州ロサンゼルス出身。ピアニストの父の影響で幼少期からピアノを習い、ジャズやクラシック、ポップスなど多様なジャンルの音楽に触れる。演劇に興味を示し、プレップスクール在学中から演劇クラブで活動する。ノースウェスタン大学では演劇とピアノを二重専攻した。1983年NYU Tischに進学。劇の演出へのアプローチについて学ぶ最中に、ジョン・ケージの「偶然性の音楽」に関心を持ち、博士号取得後はフリーランスの劇作家として活動する傍ら、偶然性をテーマに劇と音楽の関係を再考することを試みた。2008年に来日し、劇作家・実験音楽家の荻屋晴夫と対談している。
思想
マクフェイルは、音楽と演劇の関係性は基本的には以下の三つに大別されるとした。
1. 演劇が主、音楽が従(一般的な演劇)
2. 演劇・音楽が同列(ミュージカル)
3. 音楽が主、演劇が従(オペラ)
音楽と演劇が併存する空間においては、この三類型のいずれかに準じたパフォーマンスが想定され、いずれの場合でも脚本という秩序の下、音楽と演劇が一体となっている。 
マクフェイルは演劇と音楽のマルチメディア・パフォーマンスに「偶然性」を付加することを考えた。そこで着目したのが「即興演奏・即興劇」である。ケージは所謂「即興演奏」について、演奏者個人の無意識的な癖が影響してしまうため、作為性を排せていない、と評している。ケージが不確定性を排除する上で不十分であると考えたこの「即興演奏」について、マクフェイルは以下のような操作を加えることで不確定性を担保できるのではないかと考えた。 
a. 音楽と演劇を統一的に語る脚本を廃止し、音楽と演劇を一度分離する
b. 音楽と演劇の一方、または両方を即興的に行う
c. パフォーマンスの枠組みを設定する(目的、部分的な台本など)
これらにより、音楽は演劇による、演劇は音楽による影響を受け、経験に依らない新たなメロディーや展開が生まれることを期待した。その結果として、新たな四つめの形態(音楽と演劇が独立し、aufhebenした結果としての類型)を生むことができると考えた。
作品
《comelody》(1986)

マクフェイルの第一作《comelody》は、後の一連の活動のきっかけとなった作品である。ジョン・ケージの偶然性の音楽を知った彼は、同様の試みを、ショービジネスのフィールドに絡めて行えないかと考えた。学部時代の友人が、コメディ系の芸能プロダクションに勤務し、ショーの企画に携わっていることを知り、協力を仰いだ。

観客には、このイベントはコメディのショーであると告知する。コメディアンによる前座に続いてマクフェイルによる音楽演奏。一部の観客は困惑するも、コメディなのだろうと思い込む。ハプニングはコメディに関連した事柄(マクフェイルはその詳細を知らない)。マクフェイルは「コメディショー」というテーマを守るべく、ハプニングに伴う動作を「楽譜」と解釈して演奏する。(例えば「ステージにボールが転がってくる→ボールの緩急に合わせて曲調を変える」「犬が乱入する→犬の吠え声と被せる形で打鍵をする」「パフォーマーが剽軽な所作をする→軽快なステップには高くテンポの早い音をそえる」など。)

《comelody》制作を経た後、マクフェイルは先の三類型のうち、とりわけ演奏者と演者に焦点を当て、両者の関係性を再考しようと試みた。手始めに彼は《comelody》をコメディーではなく、自分の専門である演劇のもとで焼き直した。

《play 1》 (1991)
演奏者は演劇の上演日に事前にマクフェイルが執筆した脚本を渡され、劇の概要(展開・尺など)を把握。各場面の尺に合わせた長さで、場面の雰囲気に沿った音楽を即興的に演奏する。とはいえ、目的とするところは演劇による一方的な音楽の指示ではなく、音楽と演劇のaufhebenである。

《play 2》(1992)
演奏者は即興劇を目の当たりにし、展開に合わせて即興で演奏 。逆に俳優も音楽に合わせて即興で演技する。

《play 3》(1994)
《play 2》のように演劇・音楽が等しく即興性を課され、対等な関係におかれた状態が最も独創性が生まれるように思えるものの、最低限の制約を課した方がよいと考えたマクフェイルは、場面の大まかな尺、役者の背格好、ピアノと役者の場面ごとの位置だけを舞台図と脚本によって指定した。

荻屋晴夫とマクフェイルの対談(2008年6月8日)

荻屋:ウォルト、今日は来てくれてありがとう。君の作品にはいつも驚かされるよ。特に「偶然性」をテーマにしたアプローチには共感を覚える。

マクフェイル:荻屋、こちらこそ。君の《楽譜を捨てよ、町へ出よう》は本当に素晴らしいプロジェクトだと思う。街中でのインタラクションを通じて音楽と劇を融合させるアイデアは、私の《comelody》とも通じるものがあるね。

荻屋:ありがとう。実は私、大学でオリエンテーリング部に所属していた経験が大きく影響しているんだ。地図を片手に未知の場所を探検する感覚、それが《楽譜を捨てよ、町へ出よう》にも反映されている。演奏者が地図を持って街中を歩き、特定の地点に到達するごとに指令が与えられるという形式を採用しているんだ。

マクフェイル:なるほど。それは確かに独自のアプローチだね。私も、音楽と劇の関係を再考するために「即興演奏・即興劇」という形式を追求している。音楽と劇が互いに影響し合うことで新たな表現が生まれることを狙っているんだ。

荻屋:君の作品では、観客がどのように参加するのかに興味がある。《comelody》では観客がコメディショーだと思い込む状況で即興演奏を行っているんだよね?

マクフェイル:そうだね。《comelody》では観客がコメディのショーだと思い込んでいる間に、ハプニングに応じて即興で演奏を行う。観客の反応を見ながら演奏を調整していくんだ。この形式は、音楽と劇が互いに影響し合うことで新たな表現が生まれることを狙っている。

荻屋:その自由さが創造性を引き出すんだね。実際、私のプロジェクトでは、参加者が予期せぬ状況に直面することで、新しいアイデアや表現が生まれることが多い。《楽譜を捨てよ、町へ出よう》でも、街中の人々とのインタラクションを通じて、新たな音楽が生まれる。

マクフェイル:君のプロジェクトでは、具体的にどんな指令が出されるんだい?

荻屋:例えば、東京の下北沢で行った最初の公演では、参加者が商店街の入口で赤い帽子をかぶった人に向かって「かえるの歌」を歌うよう指示されたり、広場の噴水の前で即興演奏を行うよう指示されたりした。参加者はその場で演奏を始め、観客として集まっていた人々もカスタネットなどの楽器を使って即興で演奏に参加するんだ。

マクフェイル:それは面白いね。観客がただの観客ではなく、演者として作品に関わることで、新しい形の演劇や音楽が生まれるんだ。私もその方向性には興味がある。次の作品では、もっと多くの観客が直接参加できるような形式を考えている。

荻屋:私も同感だ。観客が演者となる瞬間を作り出すことで、音楽と劇の新たな可能性が広がると思う。ところで、君は次にどんなプロジェクトを考えているんだい?

マクフェイル:今考えているのは、音楽と劇をさらに融合させたプロジェクトだ。即興の要素をもっと取り入れて、観客が演者となる瞬間を作り出すことで、音楽と劇の新たな形態を探求したいと思っている。

荻屋:私も、次のプロジェクトではもっと広い範囲でのインタラクションを取り入れたいと考えている。例えば、都市全体を舞台にして、市民全員が参加できるような形式を試みたいと思っている。

マクフェイル:都市全体を舞台にすることで、より多くの人々が参加し、インタラクションを通じて新たな表現が生まれることを期待できる。私も、そのようなプロジェクトに挑戦してみたい。

荻屋:そうだね。私たちが目指すのは、音楽と劇が一体となり、観客もその一部となることで、新たな芸術表現を創造することだ。ウォルト、君の考える「即興」の定義について教えてくれないか?

マクフェイル:私の考える即興は、計画された秩序の中で生まれる自由だ。即興演奏や即興劇は、完全に無秩序ではない。むしろ、一定のルールや制約がある中で、瞬間的な判断や創造性が試されるものだと考えている。

荻屋:私も同じように、完全な自由が創造性を阻害することもあると思っている。だからこそ、私のプロジェクトでも、特定のルールや指令を設けることで、演者たちの創造性を引き出すようにしているんだ。
場所:東京、六本木のカフェ「喫茶ぺペロ」