音符と罠

Howard Gilman|2017

食田奏太郎による《音符と罠》解説|
エッセイ「漢字で実験音楽!?——H.Gilman紹介:2」より

同人雑誌『Cōnātus』2017 年 2 月号
皆様ご無沙汰しております。三ヶ月前に「漢字で実験音楽!?——H.Gilman紹介」という記事を寄稿いたしました食田奏太郎です。前回の記事を読んでいない方もいらっしゃるであろうからその内容を軽く要約すると、次のようになる。学会で出会ったH.Gilman という音楽学者・実験音楽作曲家は、学会終了後に突如私に「日本語って文字の種類がいっぱいあるんだろう?だったらさ、音楽記号や音符に似た形の文字を知らないか?」というなんとも奇妙な質問を投げかける。興味を持った私が詳しく話を聞いてみると、どうやらその漢字を実験音楽に用いるようである。ただし具体的な内容に関しては、曲を公開するまで秘密にしておいてほしいとのことで、前回の記事には書かずに終わったのである。
あれから三ヶ月、彼も曲を書き終えたようで、楽譜・録音データがメールで送られてきた。作曲の意図や背景が気になった私は、zoom を繋いで(なぜ電話ではないのかと疑問に思う方もおられるだろうから一応説明をつけておくと、国際電話だとお金がかかる一方、こちらだと大学院のアカウントを使ってタダでできるのである)彼の真意を問うてみた。今回はそのことについて書いていこうと思う。

《音符と罠(Notes and Nets)》という曲で、このような似た音を用いてタイトルをつけるようなところに彼の遊び心が感じられる。内容としては、表紙に書かれた注意書きを訳すのが分かりやすい。
"In this piece, the performer performs a visual search, and there are multiple notations per measure. Some of the scores contain puzzling parts (nets) and some do not (notes). The music is played on the spot, reading the score without looking it over beforehand. The tempo is around ♩=40 by a metronome. The piece is repeated twice using the same score. There can be more than one type of nets. The original is 'Old Hungarian Dances from the 17th Century' by Ferenc Farkas."
以下に筆者の仮訳を付しておこう。「この作品では、演奏者は視覚探索を行い、一小節に複数種類の記譜法が用いられる。楽譜には、不可解な部分があるもの(nets)とないもの(notes)がある。事前に楽譜に目を通すことなく、その場で楽譜を読みながら演奏する。テンポはメトロノームで♩=40 前後。曲は同じ楽譜で二回繰り返される。nets は複数種類ありうる。原曲は Ferenc Farkasの《Old Hungarian Dances from the 17th Century》である。」

視覚探索とは認知科学の用語で、ある目的のものを視覚的に見つけ出すことをいい、ここではすなわち、視覚的に適切な楽譜を探し出す作業を瞬時に行ないながら演奏を進めていくというのである。ここで、ギルマンがnetsをかなり慎重に検討して作り込んでいるということは注目に値する。よくよくスコアを読み込んでみると注意書きで言われるような「不可解な部分」が音楽的な知識を要さないように、かつ、nets に引っかかった際には、音楽をあまり聞かない人や和声に知識がない人でも分かるくらいに不自然な和音が出るように仕掛けられている。実際に楽譜を見てみるのが早いだろうから、数行を抜粋して解説してみる(譜例1)。

まず、notesは上から二行目右から二番目、および上から四行目右から三番目の二つである。それ以外のものに関してはスラーの掛け方が不可解になっており(あくまでもこの不可解さが視覚的なものであることが重要だ)、netsであると判断できる。こうしたことを瞬時に行なっていく。実際notesとnetsでは二拍目の二音が(これはト音記号in Cの楽譜であるが)G-Cが正解であるはずが、間違いの方はE-Gとなっている。

ここで、この部分のスコアを原曲で見てみよう(譜例2)。

ギルマンの楽譜は上記スコアの上から二段目(ギルマンは"2nd"と表記しているので他のパートも同様に呼ぶ、ただし最下段は"4th"ではなく"Bass"である)に該当するものであるが、もし二拍目のG-CがE-Gとなり、このとき"1st"が探索に失敗するとそちらの二拍目のE-F-GがD-E-Fになるので、二拍目裏の音が"1st"はF、"2nd" がGで七度の和音になりぶつかることになる。こういった形で、探索のミスが音の違和感になるような仕組みが整えられているのである。
なお、「"4th"ではなく"Bass"という名称が用いられている」という点に関しては、単に原曲がヘ音記号を用いて書いていたという理由も考えられる。しかし、前回のエッセイをご覧になった方はお分かりであるように、彼の古典主義的思想が滲み出ていると言えなくもない。3 ヶ月前の記事をそのまま自己引用しておく。「こうしたやり方は、あくまでも彼自身の口から聞いたわけではなく私の憶測に過ぎないが、彼の実験音楽に対する反発を示しているように私には思われる——趣味でどのような音楽を聴くかを尋ねると彼はブラームスを好むと答えていた——そう、リストやワーグナーが率いる、当時にすれば実験的ともいえるような技法の潮流に逆らった古典主義者ブラームスのように。」

そして、皆様がきっと気になっていたであろう、「井」の使い道はこんな感じである(譜例3)。おそらく井本人(本字?)もびっくりであろう。
Notes and Nets(スコア)